今年のROCK IN JAPAN 2017の前半戦が終わり、まだ余韻から逃れられないでいる。今年は、桑田佳祐やB’zといった超大物から、欅坂やももクロなどのアイドル、RADWIMPSやWANIMAといった人気絶頂の旬の若手まで、例年「変わり映えしない」と揶揄されがちな同フェスの出演アーティストが豪華なことでも話題を呼んでいる。個人的には、同フェスにポップ歌手が出る傾向が、数年前からあるが、ロックの解釈自体が曖昧なので、それはそれでありだと思う。ただ、アイドルを呼ぶことは別に様々な需要があるんだろうから構わないにせよ、これが行き過ぎて、ジャニーズだ、AKBだ、EXILEだとなってくると、もはやロック・フェスの面目も丸潰れだなと思う。そういうのは、サマソニに任せればいい。サマソニも洋楽の超有名どころを呼んでいるからこそ、少女時代とかTOKIOなどの飛び道具を呼んでも、その年のフェスの顔には成り得ないから成立するが、ロッキンがそれをやってしまうと、ロックの根本設定が揺らいで、アイドル・コンサートになってしまうような気がするからだ。今年、関ジャニを呼んでしまったMETROCKがそれだった。あくまで顔はバンドであって欲しい。
桑田佳祐がまさかの賛否を巻き起こす
ファンほど否定的な理由とは?
話が逸れたが、そんな中で賛否両論を巻き起こしているアーティストがいる。桑田佳祐だ。先日のライブ・レポに記したように、この日の桑田のセットリストは、未発売曲とマイナー曲で構成された「非王道」という、意外性で勝負に出た。個人的には現在の桑田佳祐の衰え知らずの歌唱に感動を覚えたのだが、このセトリに不満が出たのだ。例えば「曲を知らないからつまらない」などという短絡的な批判は、フェスというものが何たるかも理解できておらず、稚拙な感想でしかないのでほっとくことにする。ただ、何故、相応の数の観客が違和感を感じたのか、意見として存在する限りは検討しなければならないとは思うが、注視するのは、批判している中にファンもいるということだ。これはどういうことなのか?
セットリスト
M-1 悲しい気持ち~Just a man in love~
M-2 恋人も濡れる街角(替え歌)~スキップ・ビート
M-3 愛のささくれ~Nobody loves me
M-4 大河の一滴
M-5 東京ジプシー・ローズ
M-6 東京
M-7 若い広場
M-8 オアシスと果樹園
M-9 波乗りジョニー
M-10 ヨシ子さん
アンコール
M-11 ROCK AND ROLL HERO
Twitter上では桑田賞賛に溢れる
しかし、Twitterを見渡せば桑田賞賛のツイートばかりだ。
桑田佳祐すごかった。父親がサザン大好きで聴かされて育ったから一度生で観てみたかったんだけど、歌がうますぎる。あと表現力の幅が段違いでシャウトとか痺れた。もう60代のはずなのにめちゃくちゃ体力があるな。波乗りジョニーで水着の女の子いっぱい出てきたのお家芸!って感じで良かった
— えめめ (@ememememe) August 6, 2017
ロッキン良かったなー。
何より桑田佳祐の腰振りが滑らか— たけくん (@takes2356) August 7, 2017
いや~ロッキン最高でした。
夏フェスは過酷だけど(人による)それ以上に楽しいものです。
様々なアーティストを間近で見れたし、まぁなんだかんだ桑田さんが最後全部もっていった感ありますw
来年もまた… pic.twitter.com/nGa5ujiHax— リュウ⊿ (@ryuutatu1952) August 7, 2017
桑田佳祐が終わってテント畳んで今やっと車の中へ。桑田佳祐がすごくよかった。子供からお年寄りまでが同じ曲で体揺らしてる景色を見て感動した。そして桑田さんのMCが面白かったw波乗りジョニーのイントロがかかった時のオーディエンスの表情と高揚感を僕は忘れません。
— 熊澤 (@munegon424) August 6, 2017
『波乗りジョニー』水着ダンサーズ従えてステージから放水。水撒き禁止フェスで大量に放水とか桑田さんマジでロック。
— タムラ (@wbtaiyoko) August 6, 2017
桑田佳祐
ただただすごい
— ちょ (@nrksrsk) August 6, 2017
ロッキン超楽しかった 長年好きだったサザンの桑田を初めて生で見れたので最高
— しょうご (@shogorou) August 6, 2017
ロッキンから帰宅した
ワルキューレは顔が白くて小さくて可愛かった
さユりはなんかもうかっこよすぎた
ゆずは初めて生で見たけど楽しかった
桑田佳祐は最強だった
— 純 (@junebride0620) August 6, 2017
桑田さんが出てきた瞬間の感想が「実在したんだ…」だった。すごい。
— サイリウムゆっこ (@yukko_psyllium) August 7, 2017
ゆずは、自分たちのことを知らないひとが大半だろうという前提で、それでもみんなが楽しめるステージをつくってくれた
桑田佳祐は、広く知られた楽曲をたくさん抱えながらも、あえていつも通りのセトリを組んで、曲の認知度にとらわれない、大御所としての貫禄を見せてくれた— ほいほい@ロッキン (@sastonishi) August 6, 2017
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モデル佐藤栞里もインスタ投稿
桑田に求められていたものとは?
桑田は過去に二度、ロッキンに出演している。02年のソロと、05年のサザン、そして今回だ。10年以上も前になると聞いて時の流れが嫌になるが、長年ロッキンに参加している身としては、やはり05年のサザンの時のパフォーマンスは凄かった。地が揺れる大盛り上がりで、まさに日本一の夏バンドが特大夏祭りを再現したような圧倒的なものだった。完全にフェスでなく、サザンの野外コンサートだった。ま、サザンは長年こういうスタンスで、その地位を守ってきたのだけれども。
要は、ファンほど批判的なのは、これを期待していたのだろう! 今回のセトリを見ると、今月発売の新作『がらくた』の曲が大半で、それにマイナー曲数曲+波乗りジョニーという感じだ。完全にフェス向きではないのは明らかである。今回も05年のようになると思っていたのだろう。そのギャップが不満となったのではないか?
しかし、フェスという場は普段聞かないアーティストのライヴも見るというのが魅力の内のひとつである。「知らない曲」を皆聞いているのだ。では、何故、桑田にだけ、このような不満が出たのか? それは“知名度”に他ならない。桑田の国民的知名度は、邦楽界ではトップだと言い切れる。
要は、桑田ほど自身の活動スタンスが夏フェス向きと言うか、夏の大祭りを体現してきたミュージシャンはいないし、大衆のイメージも正にそこにある。本当は凄いことやる人なのに、敢えてそれをしない。ファンとしては、自分達以外の大衆にそれを提示しなかったという、もどかしさがあったのではないかと考える。それと、フェスになかなか出ないという希少性もあっての期待度だ。ソロとして15年ぶりだ。もう無いかも知れないロッキンの舞台で本領が見れなかった失望の表れなのかも知れない。もちろん、これを機に桑田のロッキン出演は増えてほしいと思うのだが。
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フェス向き選曲は大衆依存
では、フェス向き選曲とは何か? もう、これは単純明快だ。どれほど大衆が“知っている”曲をやるか否かだ。歌唱力がどうのとか、演奏の上手さなどは、実は言うほど重要視されていない。演出面含めて、大衆が楽しめるか、共感できるか否かがカギとなる。乱暴な言い方をすれば、サザンの曲である「真夏の果実」がソロの出演でも聞きたかったという不満もフェスでは一概に否定できないことだ。ただ、桑田佳祐はソロでも知名度高い曲はたくさんある。それを敢えて避けたのは、桑田自身が同フェス出演を今年の活動の中のメインである、五大ドーム含む全国ツアーの序章に捉えていたのかもしれない。勝てるはずの戦に負けにいった感覚を覚える。(他のバンドの誰それに負けたって話ではなく、桑田自身が世間の桑田像に負けたのだ、出来るはずのことをやらなかった)
還暦とはいえ年齢のせいにはできない
年齢的なこともあるだろう。還暦を過ぎれば、人生の突っ張った意図を、どこか緩めたくなるという。「それ行け!ベイビー」という曲に《適当に手を抜いていこうな/真面目に好きなようにやんな》という歌詞があるように、桑田自身もう無駄に気張らなくてもというポリシーに変わっているのかもしれない。しかし、それは実に寂しいことである。現に、矢沢永吉は70歳手前でバリバリのロック・シンガー像を崩さないし、桑田が敬愛する加山雄三もサマソニでロック全開のステージをやっているのだから。また、桑田の音楽の原点のひとつである、ポール・マッカートニーの今年春の来日公演を観ても、攻めるライブであった。ポール、80歳間近でだ。そう考えれば、桑田が老衰するのは早いし、歌謡回帰してる場合でなく、本来の桑田佳祐像が見たい欲求は非常に同意する。
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近年中のサザンでの出演が期待される
それと、桑田の性格にも因るだろう。実は繊細な人である。観客の反応を凄く気にするタイプだ。冒頭のMCで「大トリをこんなジジィが務めるという本当に申し訳ないんですけど、許してくれぇ~」と言うように変にへりくだっていた。ロッキンの客は騒ぎたい欲求が半端ない。当たり障りない自虐なんかよりも、オラオラで煽ってくれた方が盛り上がるもんだ。ただ、終演後、退散時に何度も会場へ振り返り、別れ惜しい感じを出していたので、桑田自身も何か感じる所はあったのかもしれない。挽回じゃないが、近年中のサザン出演は本当に実現してほしい限りだ。
今回のロッキン出演で垣間見れたプラスのポイント
ただ、個人的には選曲は確かにフェス向きでないのは明確で課題が残ったと思っているが、純粋にハードルを高くせずに考えれば、十分にポップのステージとしては完璧だったと思う。そもそも、マイナー曲で固めて多くの聴衆の前に現れて、相応のステージとして成立させてしまうのは、大衆に媚びずに“攻めている”とも捉えられ、ヒット曲の呪縛に依存せずに、今の自分を魅せるという意味では、やはり桑田佳祐は凄い。それに、客観的に見れば、プラスになるポイントも多かった。
- まず、声量が凄かった。特に「大河の一滴」で発揮されていた。
- シャウトも多くて桑田のボーカルらしさが出ていた。
- 最新曲「オアシスと果樹園」のライヴ演奏の迫力に痺れた、かっこいい。
- 蹴りも入れるなど肉体的な現役感が感じられた。
- MCもキレキレで大衆を摑む力は、まだあるようだ。
それこそ、宣伝とは言え、多少は未発売のアルバム曲を減らし、有名曲で固めていれば、評価は簡単に180度変わっていたと思う。大衆なんて、フェスなんて、その程度のことなのだ。桑田佳祐自身がどうのではなく、曲の知名度と選曲の問題なだけ。桑田は大衆歌手だ。それは本人の口からも何度も聞いている。だからこそ、ファンでない大衆もが、やってほしい曲を持ち得ている。それらを無視した今回のフェス出演が、どこか惜しさを感じてしまうファンがいることも合点がいくのだが・・・・・・しかし、どんな状況も含めてフェスだ。「知らない曲だから駄目」「思っていたよりも退屈」という感想は随分と安直だ。フェスで重要なのは、何を見ても楽しむというスタンスこそ大事であると思うのだが。
桑田佳祐のフェスに出演しなさ過ぎるのもどうかと思う。需要は十分にあるのだ。夏の代名詞的名曲「波乗りジョニー」での歓声は、この日一番だったと思う。フェス出演しなくても絶対的地位に居続けることは出来るだろう。しかし、桑田・サザンの最大の凄味は40年経っても“第一線”であるということだ。そんな桑田に常に期待が向けられる、それもファン以外からもというのは、桑田佳祐がこの国における本物で、希代のスターであるからだ。今回の賛否からは、そんなことを感じた。
ロッキンは今週末にも続く。どんな伝説が生まれるか。非常に楽しみなバンドが多くワクワクする。
(文:ROCKinNET.com)
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