大相撲の世界では土俵に女性は上がってはいけない事実。愛子様の皇位継承権が秋篠宮家悠仁様の次になる事実。ヒラリーが大統領になれなかったのは不支持者の理由が「女性だから」という理由も多かった事実。女性を取り巻く環境は、リアル世界でも厳しい。
今は女性差別に関しては有史史上最もシビアな時代になってきているなと思う。女性の地位向上なんかは、女優のギャラ問題でハリウッドでも大きな騒動になった。現に、世界の映画興行ランキングの上位50を見渡しても、女優が主人公の映画は皆無に等しい(アニメは除く)。今年2017年の最大のヒット作『美女と野獣』が歴代9位なのが異質なくらいだ。それ以外だと、27位の『アリス・イン・ワンダーランド』しかない。確かに女優の映画は現に売れていない。
にも関わらず、『スーパーマン vs バッドマン』で世紀の大コケをし、二度と失敗は許されないDCが思い切って映画化に踏み切ったのが女性が主人公の『ワンダーウーマン』。世界中で絶賛の嵐、大ヒットである。この映画の最大の存在価値は、そんな女性が主人公の映画で興行的に大きな成功を収めたことだと思う。女性優位など社会的な構造の変化は、リベラル傾向のハリウッドが率先するケースが多い。フェミニスト達も満足の映画であろう。
しかし、フェミニズムの主張が行き過ぎると、時として、その主張は暴走することがある。この映画がそうであるように(それについては後述することにする)。ハッキリ言って面白くない映画だった。原因は明確だった。水戸黄門なのだ。正義が勝って悪い奴が倒されるという単純な二元論。個人的には、そんな単純な物語は大好きだ。しかし、DC映画に限ったことではないが、最近の映画は無駄に長い。水戸黄門は2時間半も観れるものではない。しかも、この映画にはドラマが無い。特にヒロインが苦悩する事も無く、既視感ありありの構図。正義の女性戦士がいて→悪者が悪巧みして→戦って勝って→ラスボスが唐突に出てきて→やっつけられて→めでたしめでたし。まるっきり、水戸黄門だ。新鮮味の欠片も無い。
コミックのスーパーヒロインを第一次大戦に参戦させる発想は面白いが、「どうして人は争うの?」とか「最後に愛が勝つ(KANか!)」とか、どこかで聞いた台詞と、どっかで見たことのあるストーリーに飽き飽きして半端なく、想定内の展開に観疲れするだけだった。
あなたの×××は平均的なの?⇒俺のは少し上かな(笑) #ワンダーウーマン pic.twitter.com/lPDhEqYClM
— ROCKinNET.com (@ROCKinNETcom) September 29, 2017
面白かったのは、ワンダーウーマンが温泉に入るクリス・パインの全裸を初めて見た時。ち○ちんネタである。女性ながら、こういう下ネタを逃げなかった監督は偉い。「あなたの性的な部分は平均的なの?」「俺のは平均より少し上かな」と男の見栄も描いているのがウケる。
どうせならワンダーウーマンのヴァージンを劇中で奪ってほしかった。女性だけの島で育ったのだから、おそらく処女でしょ? これも女性蔑視の発言になるのかな。言ってみれば、恋愛物語でもある作品なのだし、女性戦士が生まれて初めて男性と関わるなど、性的なものを連想させる設定なだけに、避けては通れない部分ではあると思うのだが。
では、何故こんなにも絶賛意見が多いのか? これは凄くひん曲がった物事の捉え方だなと自分でも思うのだが、冒頭でも言った、“今の時代、女性軽視発言は徹底弾圧される”風潮があるからではないかと思う。(もしくは、ここ最近のDCと比べたら、まだマシかなという評価か)。現に、この映画では男はバシバシ駒のように倒されるが、女性は悪役と言えど倒されない(あの毒ガス女だ)。要するに、この映画こそ男女平等ではないのだ。女性の社会進出を果たすには、主婦と同数の主夫が存在しなければ成立しないように、女性の地位向上、男女平等というのは、男女間の扱い差の無さでしか成し得ない。
女性優位を謳うほどフェミニズムこそ差別を助長しかねないものだなと危惧すら覚える。監督も『モンスター』を手掛けた女性監督だと聞いて妙に納得した。あの映画では、女性犯罪者でも主人公に人間味を与え、怪物としてでなく女性らしさを描いた、女性ならではのタッチで映画を成立させた手腕が見事だったが、この映画は、前半のディズニー風味は良いにせよ、後半のドラゴンボール風味は押しが弱かった・・・・・・
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